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望月稔先生の書簡「鬼才西郷 四郎の山嵐について」

望月先生からの書簡を整理していたら表記の文章が見つかった。西郷四郎は講道館の創成期に活躍、「山嵐」はその技を継ぐものなしといわれた壮絶な秘技で、危険な技として大正9年の改正で講道館5教の技から除かれた。「山嵐」は絶技となり、ひとり西郷四郎の技としてその実態は不明で現在もその解明に研究されている。表記記録は三船久蔵師範(六段)が伊藤四男(四段)の質問で望月稔を相手に「山嵐」の解説をした記録である。その一部を公開する。

「昭和3年の暑中稽古中の日曜日のことである。稽古終了で一同帰途についたところで高段者十余名が居残って技の研究が始まった。そのうち伊藤四男四段が三船先生に目礼してから「西郷四郎の山嵐という技が有名ですが古くからの禁止技で今では誰も知らないようですが先生はご存じでしょうか?」「西郷は俺の入門の十年も前に破門となっていたので直接みたことはない。ただ先輩達と技の研究中、たびたび話題にのぼり西郷と直接もみ合った人々の示す形を覚えている。望月!」と私は呼び出され「こんな調子だよ」といきなり私の右袖と右奥襟とを掴み大きく煽りを入れながら二三歩後退されながら私を引き出し、私の及び腰で不安定な体勢となったところへ、右体落をかけられた。私が見事に飛ばされて再び起き上がると即座に前と全く同じ動作で私を引き出し同時に右小内刈を掛けられ三度、私の立ち上がるがはやいか、右大内刈と続けさまに大外刈、内また、背負い投げ等々の技を連発するのであったが、その合間、合間は大きく煽りをくれるので私はの方は全く何の攻撃もできず言葉どうり手も足もでないまま投げられる一方であった。
三船先生はそこで「この片袖、片襟で煽りをくれながらの技の連続、これ全体を「山嵐」と総称したのであって特定の一つの技を云ったものでない。強いて云うなら~片袖、片襟大アオリの連発~のことだ」と説明された。

私は望月稔先生の玄関子時代(S43年~47年)にこの話は何回も聞いていることである。
この続きがあり嘉納治五郎師範が西郷四郎破門した心境を望月先生の武道理念を交え語られている。ここでは技の部分のみ公開した。
この書簡は望月先生がこれまでの経験を記録として残しておこうということで平成6年ごろ二男鉄馬先生の奥さんが清書協力しできたものの一部である。

平成21年4月 合掌

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